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高山市と穴門山神社
2012/04/19(Thu)
今日は「高山市と穴門山神社」紹介したいと思います。

まず、飛騨の高山市(たかやまし)と読み間違えられることが多い高山市(こうやまいち)。
SN3S06970001[1]
「高山市」の「市」は、かつて市場が開かれていた地であることを示すものである。現在の高梁市川上町高山市と井原市芳井町東三原にまたが中心集落地は、 備中笠岡(岡山県笠岡市)と備後東城(広島県庄原市)を結ぶ東城往来のほぼ中間に位置し、中世の時代に市が開かれ、中世から大正初期までの間、この地域一帯の物資輸送の中継地として市場町を形成。また穴門山神社の門前町としても栄えた。
高山市の市場圏は「高山八八里」と呼ばれ、約8里離れた八方の地点(東城、上下、高梁、成羽、笠岡、矢掛、福山、府中)との繋がりにより、川上郡の中では成羽と並ぶ商業の二大中心地を形成していた。そのため、高山市を中心とした形で四方八方に延びる街道は、主要幹線であった東城往来も含め、総称として「高山往来」あるいは「高山市往来」とも呼ばれていた。
明治以降は、東城往来の経路変更、広島県道福山東城線の整備(国道182号)といった道路網の変化により、物資輸送の中継地としての拠点性が徐々に失われ、1935年に中町で発生した火災で大火に襲われ、繁栄の幕は閉じられることとなる。
現在は、山村の小さな集落地に衰退しているものの歴史ある古い町並みは現存している。
(ほぼウィキペディアからの引用です)

そして、山に暮らす私でも半端ないマイナスイオンを感じる穴門山(あなとやま)神社。
たぶんここはパワースポットだと思う。私一押しの場所。
SN3S06530001[1]
(吹屋の広兼邸に負けない立派な石垣)
SN3S06510001[1]
SN3S06520001[1]
(ご神木のカツラ:県指定天然記念物)
SN3S06490001[1]
(結界の張られたご神窟)
高山市の山中深くにひっそりと建つ穴門山神社は、平安時代後期(927年)に選上された延喜式(朝廷の儀式や行政の実施に関する規範)に備中国18社のひとつとして名前が挙げられている神社であることから、式内社と呼ばれる。
創立は、崇神天皇54年といわれるほど古く、天照大神のご神体である鏡を祭っている。神社は、谷間にそそり立つ断崖のすぐしたにあり、20mはあろうかという急傾斜の石垣をくみ上げ、その上に本殿がある。ご神木であるカツラは、その急傾斜の石垣の途中にある。
社殿は寛永九年秋に焼失したものを、備中松山城主の池田出雲守長常が、寛永十四年に再建寄進した。権現造りの建築様式で、特に本殿妻側は懸魚、虹梁、支輪、斗栱組みで装飾性が高く、県指定重要文化財である。
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今日は「高山市と穴門山神社」紹介したいと思います。まず、 …
2012/04/19 18:06  まとめwoネタ速suru
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